益子焼

栃木県

「用の美」を原点とする益子焼

益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われ、以来、優れた陶土を産出することから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげました。1924年に濱田庄司がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと共に民芸運動を推め、益子焼は「工芸品」でもあり「芸術品」である存在へ展開していきます。現在、窯元は約380、陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。